木村郁美
俺は新宿駅野東口にいた。金曜の夜だということもあって9時を過ぎる今になっても道路は人で溢れていた。
通りすぎる奴らの話し声に混ざって聞える笑い声、店の呼びこみ、ここにいると俺は安心する。ボーナスが出たってのに一人暮しの俺には家に帰っても誰もよろこんでくれる奴はいない。このまま家に帰るのが嫌で、街をさ迷っていたのだった。
さあ、今日はどうしよう。歌舞伎町を歩いていると誰かがぶつかってきやがった。
ぶつかる瞬間キャッという高い声が聞えたので多分ぶつかった相手は女だろう。そんなことをなんとなく思いながら俺は倒れた。
痛てて…、俺はさっきしたたかぶつけた額を押さえながら起きあがった。どれくらい経ったのだろう。周りを見まわすと野次馬の輪ができてやがる。どうやらしばらく気絶していたようだな。
ちっ、見てねぇで助け起こすくらいしたらどうだ。
そう思って前を見たら本当に助け起こす奴がいた。金髪に脱色した髪に良く焼けた肌のなかなか好い男が俺に向かって手を差し出していた。
「だいじょうぶかい?」
男は顔によく似合う、甘い声で言ってきた。なんだこの野郎は?
「ああ」
無愛想に言い、差し出された男の手を取ったつもりだったが俺の手はどこにもなかった。代わりにピンクと水色のビーズのブレスレットをつけた真っ白なほっそりとした手が視界に現れてがっしりとした手を掴んだ。
あれ?俺の手が見えねーぞ、俺の手はどにいった?
自分の手を捜していると、前にいる男は、その白い手を引っ張り上げた。それにつれて俺も引っ張られた。
これが俺の手か…?
男は俺をひっぱりあげた後も、その白い手を離そうとしない。
どうもとひとこと言って、俺は男の手を振り払った。周囲の野次馬連中から笑い声が漏れた。あたりを見まわすと横に倒れている中年男が目に入った。だいぶ後ろまで後退した髪、ぶ厚い唇、肉厚な頬、どこかでみたような顔をした男だった。
「だいじょうぶか?」
俺は云ってそいつを助け起こしてやった。男は片手を俺に引っ張られながら、もう片方の手で額を押さえながら起きあがった。
「ありがとう」
男の分厚い唇は礼を言う。男は俺の顔を見て目を大きく見開き、唇をパクパク言わせた。
なんだこいつ?
しかしドコかで見た顔だなァ。と眺めているとそいつはいきなり俺の手を掴んで走り出した。
な、なんだ?
男の力は強く体重80キロはある俺が、そいつにひっぱられるままに走ってしまった。周りの連中は俺達が走り去るのを呆然と見送った。なかでもさっきの金髪やろうが一番驚いた顔をしていた。なんだかしらんがいい気味のように思えた。
男は俺を引っ張りながら走る。
「おい!俺になんの用だ?」
なにか変な感じがした。さっきから喋るたびに違和感を感じるのだが、なにが変かわからない。この男もどっかでみたことのあるような顔なんだが、誰だかまったく思い出せない。
「あなたは誰?」
男はいきなり聞いてきた。
「おまえこそだれだ?」
言った瞬間、違和感の原因に気がついた。俺の声がみょうに高かったのだ。これじゃあ、まるで女じゃないか。
「あたしは、木村郁美よ」
考えていると男は自己紹介してきた。まあ俺が聞いたからなんだが、その顔で木村郁美は無いだろう?
「俺は高橋浩だ」
相変わらず女みたいな声が俺の口から出てくる。
「ねえ、あたしとあんたが入れ替わっちゃったみたい」
*
ベランダから聞える鳥の声で目が醒めた。
眠い目をこすりながら、布団を頭までかぶって丸まった。
うつぶせになったのだが、胸がひどく圧迫されて苦しかった。
「うううん」
頭の中で悩ましい女の声が響く。布団から跳ね起きて、洗面所へいき鏡を覗きこんだ。
元に戻っていない、入れ替わったままだ。
鏡の中には髪をくしゃくしゃにした女がこちらを睨むようにして突っ立ていた。女に向かって笑ってみた。女も笑い返す。笑うとなかなか可愛い顔だ。少し上目遣いにして鏡を見ると鏡の中の女も上目遣いに俺を見る。ペコちゃん人形のように舌を出してみると、鏡の中の女も舌をぺろりと出した。
「なにやってんのよ?」
「うわわぁぁ!」
女の後ろにムッとした顔の俺が現れた。
「いっ、いきなり、後ろに立つなよ、おどろくだろうが」
俺は、いや俺の顔をした女は俺の云う事を無視して鏡に見入っている。
俺も鏡を見た。鏡のむこうでは若い娘と、その後にいる俺がこちらを見ていた。俺が動けば鏡の中の俺もうごくんじゃないだろうか?こうして二人で鏡を見ていると俺達は入れ替わっていないんじゃないかと錯覚する。
しかしその錯覚は俺が自分の頬を掻いたことであっけなく崩れた。
「もうひっかかないでよ、早く顔を洗って」
オカマのような喋り方をする俺を見るのはいやだったので、さっさと顔を洗った。
*
「ねえ、どうする?」
朝飯のラーメンを食べ終えるといきなり俺が聞いてきた。
「どうするっつってもなぁ。医者でも行くか?」
「どこの科にいくつもりよ?」
「どこってそりゃぁ、なんだ、整形外科かな」
俺の身体をした女は、ハンといって両手をあげて見せた。よく外人がやるようなアクションだ。
「まあ、たしかにどこに言っても無理だろうなぁ」
俺の身体の女は黙りこんだ。沈黙がいやだったので、なにか喋ろうとするが、何を喋ればいいんだ?気にすんなよとでも言ってやればいいのだろうか?
しかたなくテレビをつけたテレビからは大リーグ情報とか言ってイチローと新庄のニュースがやっていた。
昨日のイチローは5打数三安打、しかも内一本はホームランだったらしい。すげえな。
「ねえ、デートしない」
いきなり俺の体の女が言った。
「なんだよいきなり?」
「あたしたち、もう元に戻れないかもしれない。昨日だって散々あたまぶつけたじゃない」
言って奴は額に手を当ててきた。額に当てられた大きな手から熱が伝わってきた。首を振り手を振り払った。
「だ、だからってなんでデートになるんだよ」
「うん、あたしの身体をおもいっきり飾ってあげたいんだ」
「その身体をか?」
俺の身体の女は首を振って俺を指差した。
「そっちの身体を」
指を刺された俺は、自分の胸を見る。小さいけれどそこには二つのやわらかそうなふくらみがしっかりとついていた。
*
俺達は結局デートすることになった。
ぼさぼさになった頭は家を出る前に郁美に整えてもらったが俺の家に化粧道具がなかったため、すっぴんで家を出たのだった。郁美の化粧道具は他の持ち物と一緒に昨日、新宿に忘れてきてしまったそうだ。
俺ははじめに行ったデパートで真っ白なワンピースを買ってもらい、化粧もしてもらった。もらったといっても金は俺の財布からでているのだが。
試着室を出ると、姿だけはすっかり女らしくなった俺を郁美はニコニコと眺めた。
「よせよ、あんまり見ると照れるじゃねーか」
「可愛いよ」
「おまえ、自分にそういうこと言って恥ずかしくねーのか?」
内心俺も可愛いと思っていたのだが、照れくさいのでそう言った。
「だって本当のことだもん。でもまだまだね。次に行くわよ」
郁美にひっぱられながら、次の店へと向かった。
次の店はまたブティックだった。
「まだ買う気かよ?」
「だって、あたしがオジさんとして生活するようになったらめったに会えないんだよ。今日のうちにあたしの可愛い所いっぱい見ておきたい」
周囲の客が変な顔で俺達を見ている。おいよせ、こんなところでそんな言い方するのは。
「わかった、わかったよ」
俺が言うと、郁美は喜んで次から次へと服を持ってきた。俺はヤケクソになって試着室を舞台に郁美の為にファッションショーをしてやった。郁美は小さく拍手をしてくれた。ちょっと嬉しかった。
ブティックを出るとすでに日は高くなっており、俺達は飯を食うことにした。ここでも俺は郁美に引っ張られるようにして、こじゃれたイタリアレストランに入ることになった。
でメニューを見てびっくり、一番安いメニューが2000円のスパゲティなのだ。郁美の奴は躊躇なく5000円のコースを二つ頼む。
俺の金…
「おいしいね」
笑顔満面、幸せこの上ないって顔で郁美が話しかけてくる。
「たしかに美味いな」
俺も相槌をウチながら、前菜をむさばり食った。郁美はそんな俺を幸せそうに見ている。ハア…。
前菜もおわり何皿か出てきた後、メインディッシュの子羊のローストが出てきた。単品で頼むと一皿2000円てやつだ。
俺は気合を入れて食べ始めたのだが、味付けがこってりとしすぎて食べられない。郁美は美味そうにその料理を口に入れていく。
「なあ、コレ食ってくんない」
「いいの?」
郁美の顔は喜びに輝き、またまた美味しそうに子羊のローストを食った。なんでこいつこんなに美味そうな顔で飯を食うのかな?見ているこっちも幸せな気分になってくる。今の郁美の顔は中年親父の自分の顔なのだが、見ていて可愛いと思ってしまった。
飯を食い終わった俺達は、映画館に入った。いつもの俺なら絶対見ないような恋愛映画だ。俺はもうさからうのも面倒になって、郁美に行くところを任せた。
映画館は土曜日の昼間と言う事もあって長い列が出来ていた。あまりにもあついので、郁美が途中列を抜け出してアイスを買ってきてくれた。ストロベリーとチョコミントのダブルだ。
アイスクリームは美味かった。
「可愛い」
アイスクリームをなめていると、郁美がいきなり言ってきたので、俺は恥ずかしさのあまり、顔に血が集まったてきた。たぶん郁美から見たら、今の俺の顔、真っ赤なんだろうなァ。
映画は予想した通りの恋愛ストーリーだった。
愛し合う二人の恋人がお互いのスキという気持ちに気がつかず長い時間を過ごしていく、やがて男は戦争にいかなければならなくなった。そこにいけばもう二度と戻ってこれない過酷な戦争だ。そして二人は初めて互いを愛する気持ちに気がつく。気持ちを打ち明けようとするがなかなか伝えられない。男戦争に行く船に乗るとき、男と女はやっとのことで自分の思いを打ち明けた。
その場面を見て生まれてはじめて映画を見て泣いてしまった。

くそぅ、なんでこんな映画で涙が出るんだよ。
横にいる郁美は、そっとハンカチを渡してくれた。穏やかにこちらを見る郁美の顔が映画に出てきた男の顔にダブって見えた。
映画館が出るころにはすでに時計は4時を回っていた。
「ねえ、手を組もうよ」
「ば、バカなにいってんだよ」
「だってこれってデートだよ」
郁美は強引に手を組んできた。がっしりとした郁美の大きな手が俺の小さな手を包み込んだ。周りの連中が羨ましそうに見ている。郁美のほうを見ると誇らしげな顔をしていた。
俺達は銀座にきていた。若いのに渋い趣味の奴だな。
郁美は俺を引っ張って宝石店に入ると、指輪をプレゼントしてくれた。
「おい、それって高いんじゃないのか?」
「気にするなよ」
「気にするよ、それって俺の金だろ」
「多分、俺達はもう戻ることは無いだろう?だから、俺が高橋浩で、お前が木村郁美だ。だからこれは俺の金だよ」
「なんだよ、いきなり俺みたいな話し方をして」
「ふふ、じょうだんよ。でもいいでしょう?」
「なにが?」
「買っても良いよねって事。どうせあたしがこの身体で生きていくんだもの」
郁美は言って俺のたるんだ腹をつまんで見せる。
「はいはい、わかりましたよ」
今日はいったいいくらの金を使ったのだろう?この指輪だけでも30万は軽く超えている。とんだ散財なのだが、正直あまり腹も立たなかった。この異常な状況のせいだろうか?郁美はコレから俺として生きていくのに困らないのだろうか?心配になってくる。
「なあ、ほんとうにおまえはそれで良いのか?」
「なによ、いきなり?」
「ずっとこのままで」
「良いわけないじゃない、でも戻る方法わかんないし」
「そうか、だけど金はもっと考えて使えよ。こんな使いかたしてちゃ、いくらあっても足らないぞ」
「うん、わかってる。今夜だけね」
郁美は俺の頭をナデナデした。
「無駄遣いついでに今日はホテルに泊まろう!」
「おい!大丈夫なのか?」
「へーきへーき」
1泊10万はするスイートルームに泊まることとなった。さすが1泊10万もする部屋だけ会って、部屋は広々としていて、家具も高価そうだった。といっても家具の良し悪しなんて分からないが。
「素敵!あたしこう言うのにあこがれていたんだ」
郁美はベルボーイが出て行くと、ベッドに飛び乗った。80キロの巨体に飛び乗られたベッドは悲鳴を上げるようにきしんだ。その様子を半ば呆れながらも、ほほえましく見ていた。外を見ると地上30階からの夜景が広がっていた。もうすぐ沈もうとしている夕日のオレンジ色の光とこれから空を覆うおうとしている闇の対比が美しかった。
俺達は部屋で一休みした後、ホテルの名かにある高級レストランに行った。
「なんか、高級尽くしの一日だったな」
「そうね、素敵でしょ」
「うん、こういうのもいいかもな」
「それよりどう?あたしの身体?」
「うん」
「あたしはこの身体結構楽しかったよ。だってこんな可愛い娘を連れているんだから、みんなが羨ましそうに見るんだもん。オジさんは…じゃなくて郁美はどうだった?」
「お、おい、変な呼び方すんなよ」
「え〜、だってもうあなたが郁美なんだよ。ドコが変なの」
「え〜と、そうだな、う〜ん」
郁美は俺が答えあぐむ様子を郁美は微笑を浮かべて眺めている。
ボーイが来ると、郁美は落ち着いた様子で料理とワインを注文した。出てきたワインは、シャトームートンだった。俺も名前しか知らないような酒だったが、これがべらぼうに高いって事はわかる。しかし、いちいち文句を云うのは面倒なので、この酒を思いっきり楽しむことにした。一口飲んでみる。
美味い。しかしなんら、世界がまわる。
「おい、おまえそういえばいくつなんら?」
「あたし?17だよ」
「さけは飲めるのあ?」
「ぜんぜん」
「そういうことは早くいっれくえ」
俺はそのまま寝込んでしまった。
薄れ行く意識のなかで、俺をお姫様抱っこをして運ぶ郁美の顔が目に映った。ああ、そういうことは恥ずかしいからホテルの廊下でやらないでくれぇ。俺はそのまま昏倒していった。
*
翌朝目が醒めると俺はまだ昨日の部屋にいた。夢じゃなかったのか。
俺は起きあがると周りを見た。部屋には誰もいなかった。
かわりにベッドのサイドテーブルに一通の手紙が乗っていた。
手紙をあけるとそこにはこんな事が書いてあった。
To Ikumi (♂)
おはよう、郁美ちゃん、気分はどうですか?あたしは頭がガンガン痛む。二日酔いかな?こんなに痛いの初めて、郁美ちゃん、もうちょっと自分の身体に合った飲み方をしなきゃね。
ところで郁美ちゃんはもう自分の体見てみましたか?。そう元に戻っているのです。実はね、これってあたしがしくんだことだったのです。
あたしは誰かと自分の意思で入れ替われる能力を持っているのだ。
おとといの夜オジさんを見かけてあまり寂しそうだから入れ替わってあげたんだよ。楽しかったでしょう。フフフ
昨日プレゼントした指輪は置いていくよ、質屋さんに持っていけばいくらかのおかねになるかも。あ、服は貰ってくね。それでは、また会うこともあるかも。
じゃあね(〃⌒ー⌒〃)∫゛゛
From Ikumi (♀)
「だまされてたのかぁ…」
俺は走って洗面所に向かった。そこには、可憐な少女の姿は無く、毎朝見る俺の顔ー中年親父の顔ーが写っていた。
俺はすぐにホテルをチェックアウトした。たった二日間でボーナスを使い切ってしまう事になってしまったが、怒りや後悔は無かった。彼女のおかげで、俺は自分がちょっと好きになれたから。
そういえば今日は月曜日じゃないか、急いで会社に電話をかけると「早く出てこい」という上司の怒鳴り声が聞えた。
またいつもの毎日が始まった。
−了−
あとがき
珍しくまっとうな(?)パターンの入れ替わりです。
言い訳
今回ジンコンシンのアップは遅れます。書いている最中でとッ散らかっちゃってまとまらなくなってしまいました。スミマセンm(__)m。
それでは