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重力装置が欲しいのです ログ
2009/05/03 14:30 重力装置が欲しいのですパート4
どうも、砂塵です。 今回のテーマは比喩法。それではいってみましょう。Copy Right Sazin Since 2008
空(から) 「汝等ここに入るもの一切の望みを棄てよ」、私は『神曲』地獄篇の有名な一節を思い出していた。 淘汰の話などしたからか、ここが私にとっての「ここ」だからなのかは定かではない。そういった考えに基づくならば母の腹が地獄門と言う事になる。笑えない冗談だ。 私は屋外の長椅子に座ってただ黙っていた。それは彼も同じであり、二人して地獄門に座っている様である。 とは言え、何か目的を持って考えているかと言えばそういう訳でもないのだ。 視線を少し上げる。視線の先には仕事を終えた数本の桜が往来に沿って休んでいた。彼、彼女らの仕事は桜色に染まる事。人々の注目を引き、楽しみの場を与える事。その時期を知らせる事である。 今はその葉を緑に染め、サワサワと風に靡く。その声はまるで笑っているかの様に聴こえた。もしかしたら、一時の姿のみを囃し立てる人間を嘲笑しているかもしれない。 そうやって鷹揚にその声を聴いていると唐突に彼が何を見ているのかと尋ねてきた。 「聴いているの」 桜を指で示す。 彼は面倒の無い男である。言葉遣いこそ乱暴で姿もそれを装おうとするが、偽るなど彼にとって面倒過ぎるから出来る訳もない。 だから彼は何が聞こえるのかと尋ねてくる。 「笑い声」 その時、一層強い風が吹いて桜が爆笑する。 彼もようやくその意を解して短く呟く。 「泣いて無いだけ良かった」たぶんそういう意味だ。恐らく、私の事。 今更、泣く事はないだろう。実際良く分かっていないのだ。 頭の中に自我というものがほとんど無い頃の話だ。憶えている事が憶えている事なのか作り出された事なのかの区別もつかない。 憶えているのは塵箱だけ。大きな塵箱にその小さな体をスッポリと包まれて私はそこに居た。それ以外は何故か憶えていない。 焦げた塵箱。そこに居た私。あるはずなのに無いもの。父と母の命を奪い。私の命を奪わなかったその記憶が私の中には一切無い。印象的で、その場に居たのであれば必ず憶えているはずのその記憶。火災現場の外に居た私に無い「炎の記憶」。 そこまで考えて私は先の言葉にぴったりの返事を見つけた。 「空っぽだから」
〜 気づいたときには近くに居た 今みたいに。 居なかったのは オヤジとオフクロ。 ジジイがオヤジ ババアがオフクロ。 小6ぐらいンとき 気づいた。 オレらがイヌなら コイツはクラゲだってコト。 ふわふわとして ただ 漂ってやがった。 オレらと住むところが違ってたんだ。 オレらは陸 ソイツは海。 群れの中に居てもソイツはひとりぼっちだった。 クラゲとイヌは いっしょには暮らせねえ。 そのうち 群れの中からも離れていった。 イヌはもともと 群れる動物だけどよ。 オンナってのは それ以上に群れる。 今はオトコがオンナでオンナがオトコってコトもあるけどよ。 その頃ってのはまだまだオンナは群れてやがったんだ。 だからクラゲはイジメられてた。 トーゼンだ ちがうモンとはトモダチになれねえ。 それにしたってガキのオンナってのはインケンだった。 殴る蹴るはヘーキでする。 コトバは下品 メはフシアナ。 ある時、誰かがクラゲの読んでた本をやぶりやがった。 そんで遠くに放り投げちまった。 クラゲは相変わらずのカオして 本をひろった。 オレだったらたぶんそこでキレてたハズだ。 いや、じっさいオレはキレちまった。 ヒトには楽しみってものが必ずある。 スポーツ 本 ゲーム 絵 花 クルマ どうぶつ いろいろ 必ず。 じゃまするヤツはクズだ。 ソイツらにとって どれだけつまんねえモンでも。 ソレは楽しみだ いつでも どこでもだ。 だからオレは。 叫んだ。 喚いた。 殴った。 ソイツはオンナで オレはオトコで。 それを知ってて殴った。 オレはメンドーなガキだったから。 ケッキョク さんざん怒られてムリヤリあやまるハメになっちまったが。 その代わりオレは会いに行けた。 イヌかきして。 せいぜいのつま先立ち。 刺されるのはゴメンのはずだった。 だがオレはその頃 メンドーなガキだった。 ソイツはオレを見るとしばらくだまってやがった。 それから言った。 「ありがとう」って。 ちょっとだけ笑いやがったんだ。 オレはさんざん怒られたのに。 イヌのきぐるみは重い。 そのとき初めてオレはそう思っちまった。 その頃から。 メンドーだな。 このきぐるみ脱ぐか。 オレだって。 クラゲなんじゃねえのかって。
ハイ、と言う事で比較的露骨な比喩が沢山出て来ましたね。 少し紹介していきましょう。
「汝等ここに入るもの一切の望みを棄てよ」 ・ ・ ・ ここが私にとっての「ここ」だからなのかは定かではない。
地獄門のくだりを受けて地獄を「ここ」と表現している部分です。 比喩である事を示さないので暗喩的ですが、地獄を示す文と置き換えているので換喩というのがより正しいかと思います。 本来、置き換える語が強く本来の語を示している必要があるのでここでの使い方は少し強引です。
二人して地獄門に座っている様である。
この文は最後まで推敲及び削除対象だった一節です。 候補は”二人してロダンである。”と”二人して考えるヒトである。”でした。 どういう話かと言うとロダンの作品として有名な『考えるヒト』は『神曲』に登場する地獄門の上に座り悩む男を彫刻とした物の一部であった、という事実から来ています。 これは知らないとさっぱり意味が分からないので本来であれば巻末か章末に注釈が必要になるでしょう。
視線の先には仕事を終えた数本の桜が往来に沿って休んでいた。
露骨な擬人法です。まあ、植物や物に生命的な何かを感じてそれを人として扱うのは定番中の定番ですよね。
後半も表現方法は大きく違いますが大体同じですね。 利点は表現自体にかなり幅が広がる点ですが、今回の記事の様に多用するとちょっとうるさいです。 本来はもっと「ここぞっ!」ってトコロで使うのが良いですね。 本日は以上。ちょっと長くなり過ぎましたね。 それでは。